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千駄木小学校のあゆみ~開校から95年まで~

~開校95年周年記念誌「千駄木」より~

千駄木尋常小学校の誕生
 明治42年3月、本郷区駒込林町に、木造2階建14教室の校舎が完成し、4月1日には、1年生だけ175名、千駄木尋常小学校が生まれました。
 明治の中頃まで、この地域は駒込千駄木林町と言われていました。昔、この辺り一帯は雑木林で、千駄木山とも言われ、薪を多く伐り出し一日に千駄にもなるので、千駄木と言われたそうです。
 千駄木の地名については、ほかにもいわれがありますが、いずれにしてもこの辺り一帯は木立が多く、地名でもある千駄木の名をとって校名としました。
 同年の6月3日には、盛大な開校式が行われ、この日が開校記念日となっています。2,3,4年生が加わり、児童数366名6学級、教職員9名となりました。
創立当時の校舎
 
児童数が1000人を超える
 大正時代に入り、児童数が増加を続け、大正7年4月には、1300名を超えました。
 教室が不足したので、4,5年生は、元の富士前小学校を借りて授業をし、3年生以下は午前と午後に分かれて授業をしました。
 そこで、校舎増築委員会をつくり区会にお願いし、大正9年7月には、校舎が増築されました。
 新しい校舎ができてからも、児童数は増え続け、大正10年3月には児童数1588名25学級、職員29名になりました。1学級の人数は60名以上になりました。
増築された校舎(大正9年)
 
関東大震災により、学校は避難所に
大正12年9月1日、関東地方一帯を大地震が襲いました。マグニチュード7.9を記録したと言われています。大きな揺れがあり立っていられないほどのすごさだったそうです。2学期の始業式の日で、子どもたちは家に帰った後でした。しかし、ちょうどお昼どきで、どの家庭も食事の準備をしていたため、大きな火災になり、多くの家が焼けたり、壊れたりしました。幸いにも、千駄木小学校は、瓦が4,5枚と廊下にかかっていた鏡が割れただけでした。学校は避難所に充てられ、病室も設けられ、臨時休業となりました。職員も三交代で学校警備と救護に当たりました。
 10月15日には授業を再開しましたが、児童数はさらに増えていきました。
大正14年 全校児童
 
プールが完成し、鉄筋校舎ができあがる
 昭和2年には、児童数1870名と千駄木小学校、95周年の歴史の中で、一番人数が多くなりました。現在よりも1000人以上多いということになります。真夏になると、子どもたちは保護者会のお世話で千葉県勝浦へ臨海団をつくって、出かけるようになりましたが、今の臨海学校と違って、誰もが参加できたわけではありません。行きたくとも参加できない子どもたちを見て、職員はプール建設のためにいろいろと協力しました。その結果、昭和6年校舎の南側にプールが完成しました。縦14メートル、横7メートルと現在のプールの半分ほどしかありませんが、子どもたちは大喜びで泳ぎました。
 その後、学校の敷地も広がり、昭和11年には鉄筋校舎ができあがり、校旗、校歌ができました。
旧プール(昭和6年)
  鉄筋第1校舎完成(昭和11年)
左側に木造校舎も見える
 
千駄木国民学校となり、学童疎開をする
 戦争が激しくなり、空襲が必至の状況になると、子どもたちを守るために集団で疎開することが決められ、千駄木国民学校の職員や子どもたちも昭和19年5月、栃木県那須郡の各所に分かれて学童疎開しました。それから1年余りの間、地元の国民学校に通いながら農業の手伝いなどをして戦時下を過ごしたのです。家族から離れ、食糧難の時代を過ごした子どもたちは、どんなにつらかったことでしょうか。腹をすかした子どもたちのために職員も大変苦労しました。
 昭和20年4月、戦火のため雨天体操場をはじめ、木造校舎は全部焼け落ちました。そして、8月、太平洋戦争が終わりました。
 昭和20年、文京区となり、東京都文京区立千駄木小学校と改称されました。
疎開先で農作業を手伝う
子どもたち(昭和19年)
 
文集「小鳥の歌」に込められた願い
 昭和24年、現在の校歌ができあがりました。それと同時に校舎の改築が始まり、教室も多くなりました。昭和27年には、今の千駄木育成室の所に給食調理室ができましたが、リフトがないので2階の教室まで運び上げたそうです。
 今も、2,4,6年生がつくっている文集「小鳥の歌」は、今から60年以上も前からつくられていたようですが、戦争で校舎が焼失したときに当時の文集も全部焼けてしまいました。職員の熱意で昭和26年に第1号が復刊されました。
 戦争も終わり、千駄木の森の小鳥たちも心おきなく生き生きとさえずり始めました。千駄木小学校の子どもたちにも、自由と平和な生活がよみがえるように願ってつくられた文集なのです。
 昭和24年6月、創立50周年式典が行われました。児童数は、1596名、学級数、20になりました。 
書き継がれている文集「小鳥の歌」
 
体育館・岩石園・大プールが完成する
 校舎や校庭は次々と整備が進められましたが、講堂(雨天体操場)は、戦火で消失したままでした。木造校舎2階の3教室を打ち抜いて講堂として使っていたのです。当時の子どもたちの一番の願いは、雨が降っても式や体育のできる体育館の再建でした。昭和36年、体育館が完成し、落成記念展覧会を開催しました。
 昭和39年には、職員室前に岩石園が完成し、同年、区の科学教室センターが千駄木小学校の中につくられました。
 昭和43年には、木造校舎と旧プールをこわして新しい大プールが完成しました。縦25メートル、横10メートルの今のプールです。
 昭和45年1月には、60周年記念式典を行いました。児童数、1237名、学級数、31でした。 
校庭での卒業式(昭和35年)
体育館の落成式(昭和36年)
 
千駄木音頭の披露と自然観察園の完成
 夏休みに行われる千駄木子ども盆踊り大会は、昭和50年8月から実施されています。
 その年に千駄木音頭がつくられ、披露をかねて盆踊り大会が行われたのが始まりです。PTAを中心に町会の大きな協力もあって、毎年続けられている盆踊り大会は、千駄木小学校の名物になっています。
 また、それまで長い間ほとんど利用されていなかった裏庭を児童の学習の場として活用することになり、児童、PTA、同窓会が共同で作業に取り組み、昭和54年5月に自然観察園が完成しました。
 その年には、創立70周年を迎え式典と記念行事の一つとして記念誌「千駄木」がつくられ、「学校の歩み、町の移り変わり」について詳しくかかれているので、現在でも大変役に立つ資料として活用されています。
盆踊り風景(昭和50年)
自然観察園作り(昭和53年)
 
盛んな教育研究と希望の像「巣立ち」の意義
 昭和32年、東京都の研究協力校の指定を受け図工科の研究に取り組み、発表会を開催しました。昭和38年には、国語科、51年には、体育科の研究発表を文京区の研究協力校として取り組みました。
 昭和53・54年の2年間にわたる国語科の研究は、公開授業に東京都全域及び他県から多数の参加があり盛大に開催されました。
 昭和61年には、理科の研究発表も行いました。研究はその後も盛んに続けられ現在に至っています。
 平成元年10月には、開校80周年記念式典が行われ、当日の朝、児童たちを見守る中で希望の像「巣立ち」の除幕式も行われました。この銅像は、未来にはばたく千駄木小学校の子どもたちの姿として、いつまでも大切にしていきたいものです。
開校80周年を祝う会
「巣立ち」の像
 
郷土室・校歴室の完成
 平成6年、85周年を前に、千駄木の歴史を今に伝える校歴室と郷土室が完成しました。
 校歴室では、千駄木小学校のできごとを記した年表をはじめとして、昔の教科書や小鳥の歌、通知票など学校生活に関係あるものを展示しています。校舎の移り変わりも写真で見ることができます。歴代の卒業生たちが守ってきた伝統をこれからも引き継いでいこうと、気持ちを新たにさせられます。
 郷土室では、昔の暮らしの体験ができます。地域の方々から送られた貴重な資料を展示しています。かまどには、火ふき竹やお釜が置いてあり、昔の人はどのようにしてご飯を炊いたのか体験することができます。畳のコーナーには、火鉢やちゃぶ台などが置かれて、昔の家庭生活の一部をかいま見ることができます。昔の人の息吹が聞こえてきそうなこの部屋は、社会科の授業などに活用されています。
校歴室
郷土室
 
インターネットの導入と体育館の改修、人工芝の校庭の完成
 平成10年、千駄木小学校のパソコン室にインターネットが導入され、ホームページが開設されました。情報化時代に先駆けて週に1回パソコンを活用した授業が進められました。
 平成11年に、耐震性を兼ねた丈夫で機能的な体育館の改修工事が行われました。明るく広々とした体育館が完成しました。この年、新しい体育館で90周年記念式典も行われました。
 平成13年には、サファームだった校庭が、緑色の人工芝と土の校庭に改修されました。千駄木小学校の校庭は、児童数からすると広い校庭とは言えませんが、子どもたちは、思いっきりボールを蹴ったり、走ったりしています。
 
開校90周年記念式典
人工芝になった校庭
 
常に時代の先端を行く千駄木の研究
 平成6年に区の研究協力校として、国語、社会、生活科の研究発表、平成11年に区の研究協力校として横断的・総合的な学習の時間の発表、平成14年には、東京都視聴覚教育研究会の発表、平成16年は、都の人権尊重教育推進校の発表と千駄木小学校は、毎年のように様々な分野の研究を行い、研究発表会を重ねてきました。
 発表会では、毎回全学級が授業を公開し、研究を進めてきたことを検証しました。また、区内でもいち早く英語の授業を導入し、外国人講師による授業に取り組んでいます。
 変化の激しい今日の社会に於いて、子どもたちに生きる力と確かな学力を着実に身につけさせたいという願いのもと、先生方は日々の実践に励んでいます。
ALTとの授業
学校安全教育発表会